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令和3年3月24日静岡新聞:記事全文

見出し 東京五輪パラ 静岡から 世界へ 未来へ=ソフト女子代表 山崎(常葉菊川高出)協議復活へフルスイング 合同チムや廃部経験「子どもに魅力を」
日付 2021.3.24
新聞名 静岡(朝)
30
連載・コーナー
ジャンル 社会
記事全文 東京五輪に出場するソフトボール女子日本代表に選ばれた外野手の山崎早紀(29)=トヨタ自動車、常葉菊川高出=は中学時代、合同チームや廃部を経験した。ソフトボールは2008年北京五輪で日本が頂点に立って以来3大会ぶりに復帰するが、24年パリ五輪では再び実施競技から外れる。それでも山崎は「子どもたちが続ける環境をつくりたい」と金メダルと競技人口拡大を目指し、28年ロサンゼルス五輪での復帰を願う。強打の山崎は日本代表の打の主軸。競技が盛んな掛川市で生まれ、ソフトボール一家で育った。本格的に競技を始めたのは小学2年。強豪の掛川桔梗女子ソフトに所属し県大会で何度も優勝した。順調だった競技生活は掛川北中に進学すると一変した。ソフト部の同級生は5人のみ。1年時はかろうじて単独チームを維持したが2、3年時は他校との合同チームで大会出場を余儀なくされた。山崎が中2から2年間、ソフト部の監督を務めた同校の橋村英明教頭(56)は「与えられた状況でベストを尽くそうと切り替えができていた」と回想。山崎が捕手として引っ張った合同チームは中2の夏に全日本大会に出場、中3でも県大会5位の成績を収めた。山崎は「続けられたのは支えてくれた監督や仲間のおかげ」と感謝の言葉を口にする。山崎の学年が引退すると、2年間後輩の入部がなく、掛川北中ソフト部は幕を閉じた。競技が盛んな中東遠でも近年は、少子化などの影響で中学ソフト部の廃部が相次いでいるという。東京大会を最後にソフトボールはいったん、五輪と別れを告げる。山崎は23日の代表発表会見で五輪が延期になり競技をやめようと思ったことがあったと明かした。だが、前を向いた。「子どもたちに長くソフトを好きになってもらうことが一番。私がプレーして魅力を伝えたい」。自身のバットで世界一を取った時、ソフトボールを始める子どもたちが増えると信じている。