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菊川市デジタルアーカイブ

菊川市立図書館が所蔵する菊川市関係の貴重な資料などをデジタル画像としてご覧いただけます。画面の幅が狭いスマートフォン等では表示が乱れることがありますので、パソコンや画面の幅が広いタブレット等からご覧ください。

デジタルアーカイブ資料の新規公開や更新は随時行います。

また、静岡県立中央図書館デジタルライブラリー「ふじのくにアーカイブ」でも、市が所有する静岡県に関係する資料を公開しています。

「ふじのくにアーカイブ」に掲載されている菊川市の資料一覧(新しいウィンドウが開きます)

資料一覧
年代 文書群 タイトル
1810年 本間春城家文書 玄聖講盟書並序
1810年頃 本間春城家文書 亥子両年水難の記
不明 本間春城家文書 切支丹宗門改之事
不明 本間春城家文書 邪宗門御禁制十五箇条御条目写
不明 本間春城家文書 宗門改御条目不審
1849年頃 山田家文書 申酉両年違作二付取極之事
1853年頃 山田家文書 取極議定之事
1854年頃 本間春城家文書 嘉永七年甲寅歳 墨夷船再渡来聞記并韓人各翰
1854年頃 本間春城家文書 此度魯西亜国呈書差添罷越候長崎奉行手付応接掛馬場五郎衛門ヨリ写書
不明 本間春城家文書 代々地頭所勤行拝謁并拝領物覚
1859年頃 本間春城家文書 八月廿七日封廻状
1859年頃 本間春城家文書 乍恐以書付奉願上候
1860年頃 本間春城家文書 桜田変事
1863年頃 佐野家文書 目録
1863年頃 本間春城家文書 薩英贈答書翰
1863年頃 本間春城家文書 六月廿五日御下り之勅書
1864年頃 本間春城家文書 宸翰之書
1868年頃 本間春城家文書 会津謝罪状
1868年頃 関口隆吉関係文書 中条景昭などが徳川家への寛大な処置について覚王院義観に愁訴
1873年頃 佐野家文書 杉森組戸口調査
1878年頃 関口隆吉関係文書 士族中條景昭外弐百拾余名ノ者拝借金之儀ニ付上申
1879年頃 山田家文書 中内田村会議事細則
1879年頃 関口隆吉関係文書 【新規】(書簡)旧開墾方士族の窮状につき懇願
1880年頃 関口隆吉関係文書 【新規】(書簡)士族の窮状追々切迫
1880年頃 関口隆吉関係文書 【新規】(書簡)一村起立の儀
1883年頃 関口隆吉関係文書 明治十六年五月一番茶製二付諸費記
1883年頃 関口隆吉関係文書 牧野原居住元開懇方惣人員
1883年頃 関口隆吉関係文書 志願書
1875年から1881年頃 関口隆吉関係文書 【新規】(書状)成瀬・山本両氏所有の土地の件
1888年から1894年頃 蘭字 【新規】茶袋画面纒

本間春城家について

本間春城家は、現在の平川地区石原自治会に存在した名主の家で、医師を生業としていました。本間家は代々、家を相続した者が『春城』を襲名する習わしでした。「本間」の姓は、二代目清幸の代に苗字帯刀が許されたことが本間家に伝わる文書「代々地頭所勤行拝謁并拝領物覚」に記されています。

代目略歴
初代清宣遠江国城飼郡朝比奈村(現在の御前崎市朝比奈)に生まれ、平左エ門と称しました。医師を志し、城飼郡池新田村(現在の御前崎市池新田)の医師本間宗兵衛清定に学んだ後に本間姓を貰い、春城と名乗り、享保年間に平川村に移り医師を開業しました。
二代目清幸本多大学頭が駿府御加番であった 1778(安永7)年から1785(天明5)年の期間中に、苗字帯刀を許されました。
三代目清静(清行)医師として京都で学び、帰郷後は玄聖講を立ち上げ地域の医療向上に取り組みました。また、平尾八幡宮の神官である栗田土満に師事し、和歌を嗜みました。
四代目清厳弘化2(1848)年、医業への功績から、1人扶持を与えられ、黒田太郎左エ門(旗本本多氏の代官で平川地区を治めた)の取次に任命されます。
五代目清順慶応4(1868)年、医業への功績から、3人扶持を与えられました。。

電子化済資料リストについて

菊川市立図書館では、平成29年度から資料の電子化に取り組んでいます。資料単位でリストを掲載しております。内容については、資料の所在館までお問合せください。

所蔵館資料名
菊川文庫後藤粛堂家文書

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