本間春城家文書/切支丹宗門改之事
所蔵 | 小笠図書館 |
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タイトル | 切支丹宗門改之事 | |||
フリガナ | キリシタンシュウモンアラタメノコト | |||
形態 | ページ数 11ページ 縦 26.2cm 横17.6cm |
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概要 | キリスト教禁教の歴史について記録したものです。 | |||
その他 | 詳細な画像はふじのくにアーカイブからご覧ください | |||
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概要
本間春城(三代目)は、キリスト教や仏教の禁止に関わる政策の沿革などについてメモを残しています。また、後半にはキリスト教等の信仰を禁止した『御触書』が書かれています。
キリスト教の禁止に関すること
- 元和8年8月(1622年9月)、板倉周防守重宗が「伴天連門徒之停止」としてキリスト教徒は死罪とし、教徒を隠匿した場合には連帯責任とする指示を出した。
- 寛永10年10月(1633年11月)、幕府は「伴天連密告」バテレンを密告した者にはほうびを与えることを命じた。
- 寛永12年10月(1635年11月)、幕府はキリスト教徒ではない旨の起請文を書くよう命じた。
- 明暦元年8月(1655年8月)、寺院ごとに信徒をまとめるよう指示した。。
- 寛文5年4月(1664年5月)、幕府は諸藩もに宗門改役を置くよう命じた。
- 貞享4年6月(1688年7月)、幕府はキリシタンからの転向者とその親族を調べるよう命じた。
不受不施(日蓮宗の宗派のひとつ)に関すること
- 天正7年5月(1579年6月)、安土城下で浄土宗と法華宗の間で宗教論争があった。
- 寛文年4月(1691年5月)、不受不施の僧は配流されることになった。
- 元禄4年4月(1691年5月)、悲田派を禁止した。